意外と知らないこと多かったです。
勉強になります
西洋の文脈の中では経年変化に美的価値を認めるということは、理解不能ではないにせよ、日本ほど当然として行われているわけではない。 西洋の伝統絵画でも、廃墟を画題とする例などはある。 しかし、原則として「古くなった壁は塗り直す」のが西洋的な発想である。 これに対し、日本の伝統的な美的価値では古いままをよしとすることが多い。 さらに、植物などの自然そのもの、周囲の景観を含む借景や、季節や天候の影響などの(3)「自然美価値」も大きな要素である。 これらの要素をいったん分解して考えることで、日本の美的価値をよりよく理解することができよう。 人工美価値に基づく美意識の例としては、「いき(粋)」、キッチュなどが挙げられる。
また、世界規模で見た場合、近代以後は、芸術の概念が広がり、さらには芸術という枠組みを越えたさまざまな活動が行われている。 日本語では語としての美的価値には「美」という字が含まれており、「美」と美的価値は同義の場合もあるが、特定の議論では区別した方がよい。 美的価値とは美よりも広い概念であり、「醜い」ものでも場合によっては美的価値を備えているといえる。 美の概念を拡張して「美にも醜が含まれる」という言い方もできるかもしれないが、議論が複雑になり誤解を招くことは避けられない。 ここで美的価値という中立的な概念を使えば、このジレンマは避けられる。 また「美」という語を使う場合には、西洋美学上での議論が中心となり、(3)自然美や(2)人工美についての立場は顧みられないことも多い点にも注意すべきである。
また、アフリカのある遊牧生活を営む原住民に「美しいものは何?」と聞くと、「どうだい、この美しい牛の肌!」と、彼らの生活に欠かせない物を答えとして出し、「あなた達がなぜ、花や、フラミンゴみたいな鳥や、サバンナの動物を美しいというのか分からない」と言う、といった具合に、美的感覚は各個人や、その者が属する生活共同体にとって有益であるかどうか、にも左右される事がある、という事を失念してはならない。
人工物については、キッチュや超芸術トマソンのように、制作者の意図や芸術家としての技能とはまったく無関係に(2)人工美価値が発生する場合がある。 なお、美的価値という普遍的な見方からすれば、「作者が不在」であるトマソンをあえて「芸術」と呼ばなくても、その面白さが減るわけではない。 芸術と呼ばなければ価値を認めることができないというのは、卑屈な見方かもしれない。 また、美的価値は経済的価値と相関関係にあるわけではない。一粒の水滴に無限ともいえる美的価値を見いだすこともある。 そこに作者はいない。 それは芸術ではないし、芸術と呼ぶ必要もない。 しかし、その美的価値は確かに存在するものである。
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